2012年7月11日水曜日

やっと入れた。長いこと使ってないから、書き込みの方法忘れた。(^^)

だって、本当に使いづらいよね。このブログ。みんな規格統一して

くれたらいいのに・・・いちいち、覚えるの面倒だし、使わないでいるとパス

ードまで忘れちゃうからね。・・・・たく、何年経っても好きになれないよ。

こんなマシンは。あ~~メンド!!!

2012年5月6日日曜日

まだ見てくれてる人がいるなんて・・・・・びっくりです!!!!

ほとんど休眠状態だし、返信のやり方も全然わかんないままです。

ってか分かりづらいよね。このブログ。アイコンばっか並べられてもねえ
・・・・・・使いこなすの面倒だし。覚える気もないし~~~~(^^;

最近またネットに接続できるようになったので、気が向いたら書き込み
するかもかも・・・・・・です。

期待しないで待っててください。へへ・・・・

2011年10月11日火曜日

男の娘小説だったの?

 いま思い出したんだけど、昔「エリザベス会館」から出ていた「くい~ん」という女装雑誌に載っていた小説は、ほとんどがいまで言う「男の娘」の物語だった。主人公がみんな「男」のままだったからだ。
 主人公は男性名で登場し、女装したときだけ女性名を名乗っていた。
しかも終始「ボク」で通し、「ボク」の相手もノーマルな男性のうえに両方ともホモでないという設定。さらに普段は友人とか知り合いなのに、女装すると「恋人」になったり「愛人」になるという関係。
 このかなり不自然な設定にひどく違和感を覚えたのは私ひとりだけではなかったろう。作者はまじめな女装小説として書いているつもりなんだろうけど実にツマラナかった。
 当時はまだ「女装子」という呼び方も耳新しくて、どちらかと言えばその
名称には嫌悪感を抱いたクチなので余計にそう思ったのかもしれないが
これをいまの「男の娘」の視点で読み返せば、それなりに納得いくのかもしれない。
 「男の娘」は中心となる概念が「キレイなお兄さん」である。もっと言えば
「外見を女性的な美しさで飾るナルシスト男」である。彼らは別に男である
ことに違和感もなければ、正体を隠そうともしない。むしろ正体をばらして
その落差に見た者が驚く様子を楽しんでいるかのようにさえ見える。
堂々と女装は「趣味」と公言し、自分の女装癖を認めてくれる女性を求めたりする。彼女がいながら男性とも付き合い、「バイですから」と言って
両性とのSEXを楽しむ。こいう存在であれば上の小説の設定はアナガチ
無理ではないのかもしれない。
 というようなことに思い当たった。そうかあれは男の娘が主人公だったんだ。それである程度納得がいった。でも、面白くないことになんら変わりはない。・・・・それにしたって、なんで女装もしないノンケ男が「ボク」とつきあってんだろう?「トラニーチエイサー」ってやつか。でも、スッピンは見たがらないけどなあ。
 ついでにいまひとつ。男の娘と女装子って変わらないじゃんって思った
人に書いておくね。じつはこの状態の両者はほとんど同じ。男の娘はまだ女装経験の浅い状態だと考えられるんだ。だから男の娘=女装初心者って捉えてもそんなに間違いじゃないと思う。それが証拠に男の娘ってみんな若いでしょう。いってみれば「女装子のオタマジャクシ」ってとこかな。
 
 経験って必ずしも年齢と比例しないけど、経験を積むにつれてだんだん自分の「理想とする女装」が変わってきて、やがて立派な女装子になるんだね。

2011年10月10日月曜日

納豆から女装まで

 オッハ~!(古い)きょうは昨日より体調はいい。ダルさはあるけどね。
「吉野家」の納豆定食が10時までなんで慌てて行ってきた。
 最近納豆食べてなかったなあって、昨日あたりから思い出したように
食べ始めた。納豆ってやっぱり体にいい。だって調子よくなるもの。
 かつては毎日食べていたんだけど、夜のお仕事だと朝の納豆定食は食べる機会が少なくなる。それでもなんとかお仕事の帰りに「吉野家」に立ち寄って、優香ちゃんと二人して食べてた時期もあった。
 それが最近では朝定食の時間まで待ってられないからって「ジョナサン」なんかに行くものだから、めっきり納豆食べる機会が減ってしまった。
で、「吉野家」で食事しながらこんなことを考えた。
 
 
 納豆に白米、味噌汁はかつては代表的な日本の朝ごはんだった。
私たちは一体いつからこういう健康食を摂らなくなったんだろう?
メタボが気になるとか、血糖値が心配だとか、ダイエットしなくちゃ・・・・
なんて言ってるわりには食卓から味噌汁を失くしてしまったり、朝から肉や揚げ物食べてたりと、言ってることやってることが矛盾してる。
 ふと気がつくと、日本茶も飲む習慣が減ってしまい代わりにコーヒーとか紅茶飲んでる。魚料理は肉に代わり、ご飯はパンやハンバーガーに代わった。もうメチャクチャだ。こんな食生活何十年も続けてればみんな肥えて豚になるのも当然。
 わかっちゃいるけどやめられない。特に外食産業ではではそうだろう。価格競争の激化からコストが低く抑えられ、手間がかからず人件費も
安く済むという利便性と経済効率から和食よりも洋食中心にならざるを得ず、いきおいご飯・味噌汁・納豆・香の物・お茶はパン・目玉焼き・スープ・
コーヒーに取って代わられた。
 こうして「日本の朝ご飯」は徐々に私たちの前から姿を消しつつある。
いうなれば日本人は「健康」よりも「経済効率」を取ったんだ。
 こんな「金の亡者」みたいなばかりのオジサンたちが尊敬され、崇められ人生の目標にされてるような社会なんてバカバカしくってまともに働こうなんて気になれない。若者がこの国の将来に希望を持てない原因の一つは、いまの社会があまりにもこうした経済効率優先主義に陥ってしまっているからだ。いまアメリカで起きてる抗議集会やデモ抗議は日本にだって起こりうる。
でも、日本の若者たちは社会に対して直接抗議行動はとらずに厭世主義を決め込んでいる。つまりバカバカしい現実社会からの「逃避」だ。
若者の間で流行りだしてる「女装」もその一例だよね。社会自体がバカバカしいんだもの。女装みたいなバカやっても文句言われる筋合いないでしょ。みたいな、そんな感覚かもしれない。

どうでもいいですよ♪

 急に寒くなったり、暑くなったりするものだからとうとう体調を崩してきのうから寝込んでしまった。きょうも一日寝てて、野菜ばかり齧って
ますた。^^
 で、こんな時間に目が覚めてなんか調子戻ってきた感じなので、
ちくとばかりブログってみようと思いまちたのさ。
 暇なんで「女装・和・志麻」ってググってみたら、「和」はもちろんのこと
「彩のブログ」やこの「和かずのお話」までちゃんと出てきた。面白い。
 ところで、「ググる」っていうけど「ヤフる」って言わないのはどうして?
「ヤフった」って同じでしょう?グーグルのが人気あんのかなぁ?
まあ、どうでもいいですけどね。
 最近「女装子」のブログときどき覗いてる。みんな女装姿いっぱい貼って
動画とかも作っちゃって、いろいろコミュニケート図ったりしてよく遊んでる
ね。大したものだわ。なかには一般人巻き込んで遊んでる子もいて、
「女装は文化だ!」って布教活動みたいのやってた。まるでかつての
キャンディさんみたい。でも、今の子達は年齢的にも若い子が多いし、
それにみんな結構きれいな子が多い。一昔前の如何にも「オカマ」って
感じの「女装男」はいない・・・っていうか、そういう人は今も昔も表に出て来ないんだろうけどね。^^
 
 とにかく女装にかけるあの情熱とパワーはすごいわ。そうだなあ、昔
神田にあったころの「エリザベス会館」の女装者(当時はそう呼んでいた)
たちがちょうどこんな感覚だったかな。
まあ、どうでもいい話ですけど。
で、頭痛くなってきたからまた寝ます。おやすみなさいまし~
真似して貼ってみた・・・どうでもいい画像ですけどね

2011年9月28日水曜日

知ってる?

どうして光速を超える粒子の発見が、タイムマシン誕生の可能性を高めるのか?相対論では、光速に近くなると時間は遅れ質量は増大していき、
光速に達すると時間は停止して質量は無限大になる。

だから質量を持った粒子は光より速くなれないんだったね。それでアインシュタインは光はこの宇宙で一番速いんだと結論付けた。
 ところが、じつはアインシュタインは光速を超えたらどうなるかまで計算してたんだ。ただ、あまりにも信じられない内容だったものだからその解はあり得ないとして捨ててしまった。それはね・・・

光を超えたとき、時間は負の値を持ち、質量は0になり長さはマイナスになるっていうとんでもない答えだった。これ、一体どう解釈します?
 わけわかんないよね。物理学者って唯物論者だから、実際に「存在」しない「モノ」は考察の対象にしない。だからこの解は捨てられたわけ。
 でもね、もともと相対論自体が誤りだったら?って考える学者もいてこの
100年間に随分議論されて来たんだって。
 今回の発見が真実だったら、この反対論者たちが一躍脚光を浴びて新たな物理体系を創造するチャンスになるんだろうね。
 と、いうわけで光を超えたらタイムマシンっていう発想になるのでした。
お志麻い。^^

和風日記(5)

台風一過忽ちにして朝晩冷風を呼ぶ。月天空にていよいよ輝き恰も一幅の屏風画を見る如し。
平日の黄金(ゴールデン)街、賑わいは数えるほどの店舗のみにて外に
人声疎らなり。店開ければ客足少なく、開けねば口数多し。
 ショウコより電話有。先週末土曜日の顛末を聞く。内容稚拙。評価の
程もなし。店の客これまで幾人か通えども、それをも顧みず「出禁」と
されるは「和」の名汚されたる思い有。それでも通い続ける客どもの気が
知れず。女装界隈の人間関係など所詮はその程度ものなり。
 暇に飽かして日記を綴れば深更客有。ビデオ鑑賞して時を過ごす。